百年の孤独 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1967))のレビュー
文学は人をからかうための最高のおもちゃである
この小説の中である男がこういいます「文学は人をからかうための最高のおもちゃである」と。
まさに、そう。全篇からかわれている感じなのです。
たくさんいる登場人物の名前がほとんど同じ、どこからが現実でどこからが作り話かわからない、
現在の話に過去の話が突如入ってきて時間の感覚がわからなくなる。
だから、読み進めながら物語を必死で整理しようとする。でも、それが終わらないうちに次のとんでもないエピソードが始まる。
また整理しているうちに、奇想天外なエピソードが始まる・・・これを繰り返していると、そのうち
「整理できた?現実か作り話かわかった?でも、そんなことどうでもいいよね、あんた頭カタいんじゃないの?」
とからかわれている気がしてくる。「もうどうでもいいや。細かいこと考えずに読もう」そう思った瞬間、
物語の世界に飛び込めました。めくるめく読書体験の始まりです。
この作品で作者がノーベル文学賞を穫ったことからわかるように、出版当時、世界の文学界に衝撃が走りました。
それは、今までの小説とは物語の語り方が明らかに違っていたからでしょう。
普段、ぼくたちが手にする小説はちゃんと辻褄があっているし、あっているということをよしとする。
ちょっと固くなってる"文学"を、"文学"でからかいにきたのが『百年の孤独』。
インディオの語り部の語り方で、欧米文学がずっとテーマにしてきたことを語ったような新しさがあったのだと推測します。
ぼくは、この「物語の語り方の新しさ」にとても感動しました。
40年前の本ですが、読書体験がそう多くはないぼくにとって、この語り方は今も新鮮で瑞々しいのです。
まさに、そう。全篇からかわれている感じなのです。
たくさんいる登場人物の名前がほとんど同じ、どこからが現実でどこからが作り話かわからない、
現在の話に過去の話が突如入ってきて時間の感覚がわからなくなる。
だから、読み進めながら物語を必死で整理しようとする。でも、それが終わらないうちに次のとんでもないエピソードが始まる。
また整理しているうちに、奇想天外なエピソードが始まる・・・これを繰り返していると、そのうち
「整理できた?現実か作り話かわかった?でも、そんなことどうでもいいよね、あんた頭カタいんじゃないの?」
とからかわれている気がしてくる。「もうどうでもいいや。細かいこと考えずに読もう」そう思った瞬間、
物語の世界に飛び込めました。めくるめく読書体験の始まりです。
この作品で作者がノーベル文学賞を穫ったことからわかるように、出版当時、世界の文学界に衝撃が走りました。
それは、今までの小説とは物語の語り方が明らかに違っていたからでしょう。
普段、ぼくたちが手にする小説はちゃんと辻褄があっているし、あっているということをよしとする。
ちょっと固くなってる"文学"を、"文学"でからかいにきたのが『百年の孤独』。
インディオの語り部の語り方で、欧米文学がずっとテーマにしてきたことを語ったような新しさがあったのだと推測します。
ぼくは、この「物語の語り方の新しさ」にとても感動しました。
40年前の本ですが、読書体験がそう多くはないぼくにとって、この語り方は今も新鮮で瑞々しいのです。
装丁も素晴らしい。
この小説の内容については他に多くの方が書かれているので、あえて触れません。このレビューではこの本の装幀について書きます。
この本は新潮社が「マルケスの全小説を網羅する作品叢書」として出版している「ガルシア=マルケス全小説」のうちの1冊です。この全集の装幀はなかなか気合が入っています。そこらのただ大きくて重くて読みにくいだけの単行本とは全く異なります。
「四六判・上製・角背・カバー装」です。カバーの表紙はすべて白黒の抽象的な絵で統一されています。日本語のタイトルは白か黒、原題は金色で書かれています。カバーを外すと焦茶色ですべすべとした(つるつるとした、ではありません)質感の紙で覆われた本体があらわれます。本体の背表紙には光沢のある黒字で原題や著者名などが刻印されています。
『百年の孤独』の中身を見ていきましょう。タイトルページの前には、捲るときにしゃらしゃらとした快い音をたてる焦茶色の薄紙のページがあります。タイトルページの次は目次、次にブエンディア家の家系図、次に原題と公表年、次にコピーライトのページ(英語)、次に日本語タイトル、次に再び原題と公表年(こちらは90°回転している)、次に献辞、でやっと本文が始まります。はじめのタイトルページから白紙も含めて数えると、本文が始まるまで11ページあります。
オビも落ち着いた赤色で、厚みのある上質の画用紙(?)です。徹底してます。
私は本の装幀をかなり気にするたちなのですが、これなら大満足です。文庫化されていないので『百年の孤独』を手に入れようと思ったら単行本で買うしかないのですが、この内容でこの装幀ならば3000円の価値は十分にあると思います。全集は自伝も含めて10冊あるのですが、揃えてしまいたくなります。
この本は新潮社が「マルケスの全小説を網羅する作品叢書」として出版している「ガルシア=マルケス全小説」のうちの1冊です。この全集の装幀はなかなか気合が入っています。そこらのただ大きくて重くて読みにくいだけの単行本とは全く異なります。
「四六判・上製・角背・カバー装」です。カバーの表紙はすべて白黒の抽象的な絵で統一されています。日本語のタイトルは白か黒、原題は金色で書かれています。カバーを外すと焦茶色ですべすべとした(つるつるとした、ではありません)質感の紙で覆われた本体があらわれます。本体の背表紙には光沢のある黒字で原題や著者名などが刻印されています。
『百年の孤独』の中身を見ていきましょう。タイトルページの前には、捲るときにしゃらしゃらとした快い音をたてる焦茶色の薄紙のページがあります。タイトルページの次は目次、次にブエンディア家の家系図、次に原題と公表年、次にコピーライトのページ(英語)、次に日本語タイトル、次に再び原題と公表年(こちらは90°回転している)、次に献辞、でやっと本文が始まります。はじめのタイトルページから白紙も含めて数えると、本文が始まるまで11ページあります。
オビも落ち着いた赤色で、厚みのある上質の画用紙(?)です。徹底してます。
私は本の装幀をかなり気にするたちなのですが、これなら大満足です。文庫化されていないので『百年の孤独』を手に入れようと思ったら単行本で買うしかないのですが、この内容でこの装幀ならば3000円の価値は十分にあると思います。全集は自伝も含めて10冊あるのですが、揃えてしまいたくなります。
そんなに名作かねえ
読んだのはもう二十年くらい前だが、何ひとつ覚えていない。感動した記憶もない。読んだことだけは確かだ。とにかくみんなが名作だという。それで「ん?」と思っても、空気に押されて言えない、というのは、日本だけではなくて世界的な状況である。ここは勇気をふるって、自分には面白くなかった、と言ってみようではないか。まあ純文学ってのは20世紀前半に実験をやり尽くして、もう終わりつつあったから、こういう何かそれらしいフォークナーの亜流みたいなので景気をつけようとしただけでしょう、って。
500頁近い長さが短く感じられる魅力をもった長編小説
南米コロンビアの街マコンドに暮すブエンディア家の6代100年に渡る歴史を描く小説。
登場人物たちを貫くブエンディア(Buen dia=良き日)という姓とは裏腹に内戦、家族間の諍(いさか)い、近親婚など、暴力と波乱に満ちた日々が描かれていきます。
いや、見方を変えれば、これだけ波乱に満ちた日常も、「良き日」というのどかで無邪気な名字のせいか、立ち上がれないほどの痛みが伴わないとい う、不思議な魅力にあふれた物語であるともいえます。
登場人物たちの行動に南米先住民族を想起させる呪術的な色合いがある点もこの物語に凄惨さを与えない理由の一つでしょう。
また各男性陣はラテン文化特有のマチスモを確かに備えていますが、それに屈しないしたたかさを女性陣が皆湛(たた)えているため、これまた打ち ひしがれたといった思いを残す登場人物がいないのです。
殊に印象に残ったのは次のくだりです。
「『仕方がないさ。時がたったんだもの』
つぶやくようなその声を聞いて、ウルスラは言った。『それもそうだけど。でも、そんなにたっちゃいないよ』
答えながら彼女は、死刑囚の独房にいたアウレリャノ・ブエンディア大佐と同じ返事をしていることに気づいた。たったいま口にしたとおり、時は 少しも流れず、ただ堂々めぐりをしているだけであることをあらためて知り、身震いした。しかしだからといって、あきらめはしなかった。」(385頁)
人間は生まれて死んでいく過程で何かを積み上げ次世代へ伝承し、そして進歩を促すことを旨とするところがあるでしょう。しかしこの小説の人々の 性癖や行動原理は100年を経ても進化も深化もありません。一直線の確実な進歩に懐疑的な作者の思いが投影されているのでしょうか。永劫回帰的な物語展開 に強い説得力を感じるのです。
頁を繰りながらやがて物語が果てることがとても惜しまれてならなくなる小説です。
登場人物たちを貫くブエンディア(Buen dia=良き日)という姓とは裏腹に内戦、家族間の諍(いさか)い、近親婚など、暴力と波乱に満ちた日々が描かれていきます。
いや、見方を変えれば、これだけ波乱に満ちた日常も、「良き日」というのどかで無邪気な名字のせいか、立ち上がれないほどの痛みが伴わないとい う、不思議な魅力にあふれた物語であるともいえます。
登場人物たちの行動に南米先住民族を想起させる呪術的な色合いがある点もこの物語に凄惨さを与えない理由の一つでしょう。
また各男性陣はラテン文化特有のマチスモを確かに備えていますが、それに屈しないしたたかさを女性陣が皆湛(たた)えているため、これまた打ち ひしがれたといった思いを残す登場人物がいないのです。
殊に印象に残ったのは次のくだりです。
「『仕方がないさ。時がたったんだもの』
つぶやくようなその声を聞いて、ウルスラは言った。『それもそうだけど。でも、そんなにたっちゃいないよ』
答えながら彼女は、死刑囚の独房にいたアウレリャノ・ブエンディア大佐と同じ返事をしていることに気づいた。たったいま口にしたとおり、時は 少しも流れず、ただ堂々めぐりをしているだけであることをあらためて知り、身震いした。しかしだからといって、あきらめはしなかった。」(385頁)
人間は生まれて死んでいく過程で何かを積み上げ次世代へ伝承し、そして進歩を促すことを旨とするところがあるでしょう。しかしこの小説の人々の 性癖や行動原理は100年を経ても進化も深化もありません。一直線の確実な進歩に懐疑的な作者の思いが投影されているのでしょうか。永劫回帰的な物語展開 に強い説得力を感じるのです。
頁を繰りながらやがて物語が果てることがとても惜しまれてならなくなる小説です。

この本は人を選びます。人間の感情の細かな動きに興味があって、
ただ物語が続くだけの小説が嫌いな人は、この本も好きになれないものです。
この本は世界の名作として好かれているが、はっきりいってマルケスの作風を
理解できる人は理解できない人より少ないです。よって多くの人は小説を読む
機会がそもそも少ないか、他の人につられているかという場合が沢山あります。
私も読んでいるときは物語の展開に気を取られてあっという間に読みましたが、
読み終わってからはもうどうしても内容を思い出せません。
人の性格も思い出せません。(結構性格が3,4パターンしかなく、皆そんな性格してます)
私のような読者は声を大にしては言えないけど、意外と多いんじゃないでしょうか。
あと新潮のこのシリーズは本当に大学教授の様な硬い翻訳で、マルケスの魅力が半減しています。
そういう事で、とりあえず名作という事で2つ星あげましたが、それ以上はあげられないです。