百年の孤独 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1967))のレビュー
要約不可能
もはや要約不可能である。
ブエンティア一族を巡る突拍子もないあれやこれやの出来事がただただ延々と叙事的に綴られていく、それ以上でも、それ以下でもない物語だ。
一族の宿命とも言うべき愛の欠如と孤独。
ウルスラが嘆くように、一族は果てしない不幸の螺旋階段を無限に昇降する。
そこにいかなる寓意を読み取るか。
マコンドの盛衰を、人類史のカリカチュアとして読む事も可能かもしれない。
あるいは、ニーチェ的な永劫回帰の一つの表現として読む事も可能かもしれない。
ただ、私は安直な寓意の読み取りは避けたいと思う。
なぜ、彼等がかくも不幸であったのか。ホセ・アルカディオ・ブエンティアならこう言って笑うのだろう。
「それはとても簡単なことだ。俺の頭がおかしいからだ」
ブエンティア一族を巡る突拍子もないあれやこれやの出来事がただただ延々と叙事的に綴られていく、それ以上でも、それ以下でもない物語だ。
一族の宿命とも言うべき愛の欠如と孤独。
ウルスラが嘆くように、一族は果てしない不幸の螺旋階段を無限に昇降する。
そこにいかなる寓意を読み取るか。
マコンドの盛衰を、人類史のカリカチュアとして読む事も可能かもしれない。
あるいは、ニーチェ的な永劫回帰の一つの表現として読む事も可能かもしれない。
ただ、私は安直な寓意の読み取りは避けたいと思う。
なぜ、彼等がかくも不幸であったのか。ホセ・アルカディオ・ブエンティアならこう言って笑うのだろう。
「それはとても簡単なことだ。俺の頭がおかしいからだ」
こんがらがりながらも読み進めるべし
ブエンディア家の祖先ホセ・アルカディオ・ブエンディアが家族と仲間とともに開いたマコンド村と、その中心にいたブエンディア一族の100年にわたる栄枯盛衰の物語。
国家との闘争と享楽が繰り返すなか、いろいろな形でブエンディア家も子孫が生まれていく。
村が開け、産業が興り、鉄道もつながるが、ブエンディア家を軸に描かれたマコンド村の様子を通じて、結局、世の中って男と女しかいない人間たちが関係しあって成り立っていくものなんだよね、みたいなことを思う。
そのこと自体も物語の主要なテーマであるわけだが、似たような(というかほとんど同じ)名前が繰り返し出てくるため、進むうちに”これ誰だっけ?”と、ぼんやりしながら読んでいた時間が実は結構あった。
しかし、それでもお構いなしにぐんぐん読み進めていくうちに、人間たちのバイタリティ、弱さ、一途さ、そして悲しさのようなものが感じられた。
大河ドラマ。
通勤かばんにはちょっとカサバるハードカバー約500ページは読み応えがある。
国家との闘争と享楽が繰り返すなか、いろいろな形でブエンディア家も子孫が生まれていく。
村が開け、産業が興り、鉄道もつながるが、ブエンディア家を軸に描かれたマコンド村の様子を通じて、結局、世の中って男と女しかいない人間たちが関係しあって成り立っていくものなんだよね、みたいなことを思う。
そのこと自体も物語の主要なテーマであるわけだが、似たような(というかほとんど同じ)名前が繰り返し出てくるため、進むうちに”これ誰だっけ?”と、ぼんやりしながら読んでいた時間が実は結構あった。
しかし、それでもお構いなしにぐんぐん読み進めていくうちに、人間たちのバイタリティ、弱さ、一途さ、そして悲しさのようなものが感じられた。
大河ドラマ。
通勤かばんにはちょっとカサバるハードカバー約500ページは読み応えがある。
買いです。
20年振りかの再読でした。前回どういった感想を持ったのか我がことながら判然としないものの、とても笑える場面が随所に散りばめられているというのが今回の読後の印象です。マコンドという架空の街を舞台にホセ・アルカディオ・ブエンティーヤを祖とする一族の物語、といえば言えるのでしょうが、そんな言葉では片付けられないほど圧倒的な細部とエピソードで組み上げられており、そういった要約を拒むような在り方自体がこの作品の大きな魅力になっています。また、今回読んで思ったことのひとつは、この作品の密度は圧倒的な細部とエピソードということに加えて、わざと煩雑に絡み合い、読むものを混濁させるような一族の名前の付け方によっても生じているのだということです。慣れるまでかなり読み辛く、根気を要しますが、家系図を作ってみたりなど工夫を凝らしたりしながら(途中でバカらしくなってきますが)丁寧に読み込んでいけば、必ずそこに明澄な視界が大きく広がってくると思います。でも、解説でも触れられていますが、いよいよ物語も終わろうとする頃になっていきなり、「文学は人をからかうための最良の玩具」のいう文字が目に飛び込んできたときには、一瞬狐につままれたような気持ちになりましたが、作者の真意は案外こんなところにあるのかもしれませんね。
濃厚で鮮やか
新潮社から出ているガルシア・マルケス全小説を着々と買っている、高いけど、装丁が素敵でたまらんのだ。
『百年の孤独』は高校生の頃図書館で読んで(改訳前の訳だけど)ものすごく夢中になった小説だけど、久しぶりに読んでみても、この極彩色の濃厚な物語のなんという鮮やかさよ。
一行ぐらいで無理やりまとめて言うとマコンドという村を舞台に、ブエンディア一族の百年を描いた物語、人間ドラマ。ありとあらゆる物語がこの一冊にぎゅうぎゅうに詰まっている。一つ一つ解きほぐしているとそれこそ百年はかかりそう。
面白いのは、一族には同じ名前を持つ人間が繰り返し現れるのだけど、一人一人が過剰に個性的なので読んでいて全く混乱することなく、しかもそれでいてホセ・アルカディオの名を持つものはホセ・アルカディオらしき運命を、アウレリャノはアウレリャノっぽい人生を、どこかに含み持っていることだ。
話の冒頭からあやしげな錬金術師が登場するし、魔法的なことが山ほど起こる。たとえば物語の中盤に登場する、その美しさのために何人もの男が勝手にとりこになり、勝手に死んでいったという美女、小町娘のレメディオスの臨終(?)の様子。彼女はある日庭でシーツをたたんでいると、不意に体がふわりと宙に浮き、「シーツに抱かれて舞い上がり、黄金虫やダリヤのただよう風を見捨て、午後四時も終わろうとする風のなかを抜けて、もっとも高く飛ぶことのできる記憶の鳥でさえ追っていけないはるか高みへ、永遠に」姿を消すのだ。この不思議で美しい光景が、妙にリアリティをもっていて完全に現実のものと思わず納得して読み進めてしまう。
これをマジックリアリスムというらしいことを最近知ったが、そう言えば『風車祭』の池上永一なんかも「マジックリアリスムの旗手」と言われているはず、確か。暑いところで生まれる物語は、そういう不思議への寛容度が高いんだろうか。
『百年の孤独』は高校生の頃図書館で読んで(改訳前の訳だけど)ものすごく夢中になった小説だけど、久しぶりに読んでみても、この極彩色の濃厚な物語のなんという鮮やかさよ。
一行ぐらいで無理やりまとめて言うとマコンドという村を舞台に、ブエンディア一族の百年を描いた物語、人間ドラマ。ありとあらゆる物語がこの一冊にぎゅうぎゅうに詰まっている。一つ一つ解きほぐしているとそれこそ百年はかかりそう。
面白いのは、一族には同じ名前を持つ人間が繰り返し現れるのだけど、一人一人が過剰に個性的なので読んでいて全く混乱することなく、しかもそれでいてホセ・アルカディオの名を持つものはホセ・アルカディオらしき運命を、アウレリャノはアウレリャノっぽい人生を、どこかに含み持っていることだ。
話の冒頭からあやしげな錬金術師が登場するし、魔法的なことが山ほど起こる。たとえば物語の中盤に登場する、その美しさのために何人もの男が勝手にとりこになり、勝手に死んでいったという美女、小町娘のレメディオスの臨終(?)の様子。彼女はある日庭でシーツをたたんでいると、不意に体がふわりと宙に浮き、「シーツに抱かれて舞い上がり、黄金虫やダリヤのただよう風を見捨て、午後四時も終わろうとする風のなかを抜けて、もっとも高く飛ぶことのできる記憶の鳥でさえ追っていけないはるか高みへ、永遠に」姿を消すのだ。この不思議で美しい光景が、妙にリアリティをもっていて完全に現実のものと思わず納得して読み進めてしまう。
これをマジックリアリスムというらしいことを最近知ったが、そう言えば『風車祭』の池上永一なんかも「マジックリアリスムの旗手」と言われているはず、確か。暑いところで生まれる物語は、そういう不思議への寛容度が高いんだろうか。

タイトルは逸品で、確かに所々おもしろい表現や深い表現はありました。しかし見栄を張らず
に言うと、私はこの物語の中にあまり入り込めませんでした。期待し過ぎたかな...?
勝手な直感ですが、この濃い〜個性的な物語は、シニカルな意味ではなく、受験戦争などに
勝ち抜いてきた真のエリートの方々にこそオススメな気がします。